元気クラブの歩み
47年前の1973年、元気クラブ創業者の小松弘幸が土佐市消防署に入隊し、非番の日に1日6時間以上の筋トレ三昧の日々を送る。 1980年、小松は「これほど筋トレが好きなら筋トレ専門のジムを作った方が幸せではないか」と考え始める。
1983年、小松は土佐市消防署を退職し、自宅の酒屋の倉庫にジムを造り始める。
後の「筋トレメッカ・元気クラブ」の前身である。
当時の元気CLUBというネーミングは、当初小松がほぼ1ヵ月に渡って60以上のジム名を考えていたが、妻の一声で元気CLUBになった。
妻の理解を得て始まった新天地「Oh!元気CLUB」造りに小松の心は踊った。朝は布団を蹴っ飛ばして起きあがり、夜の更けるまでジム造りに取り組んだ。
ところが思いもかけぬでき事が起きる。当時のジムの利用料金はビールの大ジョッキに一人300円を入れてもらっていた。ジョッキに増え続ける100円銀貨を見て小松の胸は膨らんだ・・・が・・
ある日、ほぼ満杯になったビールジョッキのお金を何者かに盗み取られてしまったのだ。
当時は今のようなセキュリティの考えなどあるはずもなく、小松はガックリと肩を落とした。傷心の小松はその経験をもとに1ヵ月分のジム料金を前金でもらうシステムを考案する。これは当時としては画期的なことだった。
また小松は、トレーニングルーム造りに没頭する傍ら、自らジムの簡素な手書きチラシを作って配布活動を行った。しかし、ジムに入会してくれたのは2か月間に1人であった。
「消防職員という公務員をやめてまで始めたジムに客が一人も来ない。」
小松の苦悩の日々が始まる。
ある日、小松は消防官時代の仲間のことを思い出していた。そうだ、同じジム造りを考えている仲間を探してみよう!
そう考えた小松は県内のジム関係者を探し出し連絡を取った。
真っ先に出会ったのが現、「金太郎トレーニングジム」経営者の山崎康平氏である。山崎氏と出会った小松は、高知県筋トレ界を繋ぐ夢を熱く語り合う。
これがその後36年間続く高知県パワーリフティング協会の始まりである。
山崎氏とともに高知県パワーリフティング協会を立ち上げた小松は会長に就任し、記念すべき第1回高知県ベンチプレス選手権大会をOh!元気クラブで開催する。
当時は小さなジム面積に質素な設備であったが小松の心は満たされていた。
2002年、小松はパワーリフティングで高知国体に参加し成功に導く。
この時挨拶に立った小松は「竜馬は剣で己を磨き、私達はパワーリフティングで心身を鍛える」との名言を残し喝采を浴びた。
国体参加により、高知県パワーリフティング協会の団結はさらに強固なものとなった。
2005年、元気CLUB創業者小松弘幸の長男・小松弘和が元気クラブを継ぎ、ジム名を「筋トレメッカ☆元気クラブ」とする。
弘和は土佐市が開催する「経営塾」で研鑽し経営手腕を磨く。 そして自らのアイデアで次々とジムに革新を巻き起こし現在に至る。
弘和は、元気クラブをコミュニケーションクラブと位置づけ、アットホームなジムづくりに邁進している。
弘和が小さい頃、父・弘幸が弘和に伝えた「人には優しく、俺たち一心同体」の精神が元気クラブに息づき和気あいあいとジムライフが進行している。